州の代表的な料理というものは、往々にして記号になりやすい。写真映えし、 一言で説明しやすく、観光の会話にも乗せやすい。インディアナのテンダーロインも、 もちろんその条件を備えている。だが、それだけで終わらせるのは惜しい。 この料理は、ダイナーという場の中で見るとき、もっと立体的な意味を持ち始める。
テンダーロインの魅力は、まず見た目の正直さにある。
インディアナのテンダーロイン・サンドイッチは、気取った料理ではない。むしろ、 何を食べるのかが皿を見た瞬間にわかる。大きく叩いた豚肉をパン粉で包んで揚げ、 バンズに挟む。ときにレタス、オニオン、ピクルスが添えられ、マスタードやマヨネーズが控えめに置かれる。 そこには曖昧さがない。
その明快さがいい。食の流行には、ときに料理の意図を曖昧にしてしまうものもある。 だがテンダーロインは違う。ボリュームがあり、揚げ物であり、昼食であり、少し愉快である。 そのわかりやすさが、インディアナの実直さとよく重なる。
大きさのユーモアが、料理を名物にしている。
テンダーロインには、料理としての機能だけではなく、少しだけ笑みを誘うところがある。 肉がバンズより大きい。しかもその大きさが、誇張のようでいて、長く州の標準として受け入れられている。 そこにユーモアがある。だが、そのユーモアは観光客向けの冗談ではない。 地元の人も普通に受け入れている日常の可笑しさである。
その感覚がいい。インディアナの魅力は、威張ることではなく、少し肩の力が抜けていることにもある。 テンダーロインの大きさは、その州の気質を食べられる形にしたものなのかもしれない。
しかし、この料理はダイナーを離れると少し弱くなる。
ここが大事だ。テンダーロインはどこで食べてもよいわけではない。もちろん、場所を選ばずに おいしく出す店もあるだろう。だが、いちばん似合うのはやはりダイナーであり、町の食堂であり、 カジュアルな昼食の場である。なぜならこの料理は、その場の速度と一緒に成立しているからだ。
白い皿、カウンター、コーヒーの追加、少し年季の入ったブース席、窓の外の駐車場、 地元の人の昼休み。そうしたものの中で食べると、テンダーロインは単なる名物から、 その町のちゃんとした昼食へ変わる。ここに、この料理の本当の強さがある。
ダイナーは、州の食文化を平らに見せず、むしろ深く見せる。
ダイナーというと、簡素で、実用的で、観光的には地味なものに見えるかもしれない。だが実際には、 そこにこそ州の文法がよく出る。何が朝食らしいのか、昼食はどれくらいの量が自然なのか、 コーヒーはどうあるべきか、甘いものは食後にどう置かれるのか。こうしたことは、 ダイナーに入ると一度に見えてくる。
インディアナのダイナー文化は、華美ではない。だが、そのぶん実直である。 テンダーロインも、その実直さの中で食べるとき、初めて“州の食”として納得できる。
小さな町の昼食として、これほど自然な皿はあまりない。
町の広場を一周し、車を停め、昼食をどこでとるか考える。そのときテンダーロインが メニューにあると、不思議に安心する。選ぶ理由がはっきりしているからだ。観光客だからではない。 その町の昼として自然だからである。
小さな町の食堂で出てくるテンダーロインは、記念写真のための料理ではない。町の人が食べる昼食であり、 旅人もそこへ一時的に混ざる。その感覚が、州の内部へ少し入った感じを与える。
テンダーロインの横には、たいていコーヒーかソフトドリンクが似合う。
ワインの組み合わせを考える料理ではない。テンダーロインのよさは、もっと別のところにある。 たとえば、冷たい飲み物との相性。あるいは、食後に飲むコーヒーへの自然な移行。 ダイナーの昼食には、その連続がきれいに収まる。
コーヒーが落ち着いている店では、テンダーロインの記憶も落ち着く。揚げ物の満足が、 食後の一杯によって少し整えられる。インディアナの食堂文化では、この“整い方”が案外大切である。
そして、パイまで食べると、その町の午後に入っていける。
テンダーロインとダイナーの話をしていて、パイを外すわけにはいかない。なぜなら、 この食文化の魅力は主菜だけでは完結しないからだ。食後にパイを頼むかどうか。 それは空腹の問題ではなく、その町にもう少し長くいるかどうかの問題でもある。
窓辺でコーヒーとパイを前にすると、昼食は単なる補給から、小さな町の午後の一部へ変わる。 ここまで来ると、テンダーロインは名物料理を超えて、州の時間の入口だったとわかる。
この料理が長く残ったのは、誇張と日常の均衡がうまいからだ。
名物料理の中には、観光の時代に入ると少し空洞化してしまうものもある。写真映えだけが残り、 実際の生活からは離れていく。テンダーロインがまだ強いのは、そこが崩れていないからだと思う。 大きさの誇張はある。だが、食べる場は日常のままである。その均衡が保たれている。
つまり、テンダーロインは名物でありながら、まだ生活の側にいる。インディアナの食文化の信頼感は、 こういうところから来ているのだろう。
ヒロのノート
ヒロがインディアナでテンダーロインを食べるとき、彼は“名物を片づける”つもりでは食べない。 その町のダイナーに入り、カウンターやブース席の空気を見て、コーヒーの出し方を見て、 そこで自然にこの料理を選びたくなるかどうかを感じる。そうして選んだテンダーロインは、 写真で見るよりずっと州らしい。
インディアナのダイナー文化のよさは、旅人を特別扱いしすぎないことにもある。 旅人はそこへ、一時的にまぎれ込むことができる。テンダーロインは、その入口として最適だ。
だから答えはこうなる。インディアナで食べるべき料理はテンダーロインである。だが、 本当に味わうべきなのは、テンダーロインそのものより、ダイナーという場のよろこびなのかもしれない。